自分を知らず日々をこなすだけの毎日

目安時間 4分

自分の強みを聞かれたときにすぐに答えることが出来ますか?

多くの人が難しいと思うのではないかと思います。

 

強みどころか得意不得意、また好き嫌いさえもわかっていない人が実はたくさんいるのです。

 

これらのことは、考えるきっかけがないとわからないまま日常を過ごしていくことになります。

 

快不快も関係なくただ淡々と日々を過ごしていく…それは普通であって当たり前のこと。諦めではなく気付かずに過ごしているのではないでしょうか?

 

私は6年前にシングルマザーとなり、家庭を支えるために専業主婦から一変、ワーキングマザーに転向せざるを得ませんでした。

 

離婚前まで自分のペースで自由に使えた時間、子供たちと関わる時間、それは悲しくもなくなってしまいました。

 

毎日同じことの繰り返し。朝子供たちを急かし学校へ送り出し、決まった時間に出社、退社。家に変えれば晩御飯やお風呂の支度、子供の宿題の丸付け。寝かしつけたかと思うと自分も一緒に寝落ちしてしまう…。当たり前と言えば当たり前です。私も離婚を選んだからにはこれは仕方のないことだと思っていました。それしか生きていく術を知らなかったのです。

 

そんな毎日を送り続けている中、とうとう子供たちにも限界が訪れました。あんなに優しかったママがかまってくれない。毎日忙しくしていて笑顔もない。幼かった子供たちはそれが耐えられなかったのでしょう。私のもとを離れ元夫のもとへと去っていってしまったのです。

 

本当はゆっくりした時間の中で過ごしたかった。決まった時間の中で拘束されるのが嫌だった。子供たちともっと関わりたかった。でも生活があるからそれは叶わない。当時の私にはそれしかありませんでした。

 

好きも嫌いも関係ない。得意不得意も言ってられない。ましてや強みなんて考えたこともない。そんな状況です。

 

子供たちが離れていっても日常を変えることはできませんでした。悲しみを堪えながら日々を送る。そんな毎日でした。

 

私は離婚前まで家事育児が自分には向いている。合っている。そう思っていました。それがこの有り様です。

忙しさに追われ家事も中途半端。子供たちは離れていってしまう。社会復帰には苦戦状態。完全に自分を見失いました。

 

今思うことは嫌いな事に忠実になればよかったのではないか、生活をしていくにも他にも方法があったのではないかということです。

 

自分の好き嫌い、得意不得意、強みが何かを知っていれば自分を見失うという事態は避けられたのではなかったのかとも思います。

 

何気なく、必死に過ごす毎日。それも誇らしいことです。

しかし、自分の得意や強みを活かしてもっと自由に生きれたら、それ以上に素晴らしい景色が見れるのではないでしょうか。

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真野 未早希

真野 未早希

自分辞典プロアドバイザーとして活動しています。 たとえどんな状況でも自分らしくある生き方、女性としての在り方をこのブログや活動を通してお伝えしていきます。 笑顔で過ごす毎日を積み重ね、輝ける人生にしましょう。

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